みなさんこんにちは
先日自分のお誕生日に一冊の本を頂きました。題名は「ライオンのおやつ」です。内容はホスピスで最後の時間を過ごす女性のお話。ホスピスでは毎週日曜日に入居者がリクエストできる『おやつの時間』があります。おやつと共にその人の人生の一コマを垣間見る事になります。生まれ方も死に方も自分では選べない。それなら一日をちゃんと生き切り、最後まで人生を味わいつくしたいと彼女は考えます。あたり前の日常がどんなに幸せなことなのか、今日という日を、一緒に過ごす仲間や家族を、大切にしたいと改めて考えさせられた本でした。時折仲間にも伝えるのですが、人生で大切な事は、目的を持つ事、自分と向き合う事、執着しない事、求めすぎない事、自分を見失わない事、思いやる事、素直でいる事などだと伝えています。人はそれぞれ考え方が違いますが、死を前にして最も悔やむ事があるとしたら、もっと勉強すれば良かったとか、一生懸命働けば良かった、もっとお金を稼げば良かったとかそんな答えには絶対にならないです。
自分が心から望むものと周りから求められるものは違います。だからその乖離はいずれ歪みになって心に支障をきたす気がします。自分が不完全でも、少し欠点があっても見過ごせられるような気楽さを持てば、他人に対しても寛容になる事ができるのかもしれません。誰のものか判らない価値観に支配されると、普段見られる小さな事にさえ気付けない淋しい人になってしまうんじゃないかな。
例えば何の不安もなかった幼少期、仕事が上手くいっている時、不自由のない生活をしている時、そうした時は目の前の現実に満足しているから生きる意味を考えようとしません。でも人生の最後は、本当は何が好きなのか、誰と一緒にいたいのか、何をしたかったのか、大切にするべきものは何だったのかなどを問うもので、それが無いことに気付くと絶望的にこの世を去る事になるかもしれません。
人は、何よりも自分が一番大事です。相手に親切にするのも、自分が嫌われたくないとか、その人が好きだからとか、結局は自分中心の理由が動機であって、ただ単純に親切にしたいからという思いであっても、それは自分自身の「親切にしたい」という欲望を満たしているにすぎません。人は、どこまでいっても自分のことしか考えられないかもしれない。だからこそ、まずは自分自身を満足させてやらないと本物にはなれない気がするの。自分自身が満たされてはじめて、「人のために何かしたい」という純粋な欲求が湧き出てくると思います。自分が満足しないうちに人のために何かをしようとすると、どうしても見返りを求めてしまいます。そして思惑通りにいかないと、怒りを覚えます。だったら、最初から親切になどしない方がましです。人のために生きることは目標ではなく、結果だと思う。自分の心に素直に生きてきた結果、人のために何かしたいという純粋な気持ちが現れるもので、人のために生きることを目指すのではなく、そのように思えるような境地を目指してほしい。
トライムは、活動を通して社会貢献も理念に入っています。偽りじゃない親切を目指したいです。
だから時折自分を振り返って、悔いのない日々を過ごしてほしい。愚痴や不満ばかりが日常であるなら、それを辞めてしまえばいいのです。自分は本当は何がしたいのかを真剣に考えて、人生を歩んで欲しいと願います。